Flexaret VI file no.0008 [Flexaret VI]
久しぶりのFlexaret 6を持って、GWの万博を相方様と散歩。
天気は上々。5月の青空に気持ちも晴れる。
久々過ぎて、ファインダーの映像が天体望遠鏡のように左右が逆になっているのをすっかり忘れていた(笑)
ので、最初はトリミングに手間取ってしまった・・・・・(^^;
ポピーは満開!とはなっていないようだったが、この花の丘の眺めはいつ来ても気持ちいい。
ポピーフェアの一つらしく、バイオリンを持った女性が、丘の上で演奏していた。
抜けるような青空と緑の丘に立つ姿がとても爽やか♪
Flexaretで接写レンズを使って撮るのは実に難しい。
ファインダーで見ている映像がそのままになるわけではなく、
フィルムをチェックしたら、微妙に上下がずれていたりするのだ。
思ったようには撮れない事のほうが多い。
でも時折、偶然に撮れるシーンが面白かったりする。
ポピーの花にシャッターを切っていたら、ミツバチがナイスタイミングでブーンと登場!
そんな時は撮りながら、ミツバチにサンキューなんて言ってみたり(笑)
この季節ならではの色彩にあれこれと、ファインダー越しにトリミング。
カメラに没頭する私を余所目に相方様はスカッと爽やかな気分らしい(笑)
この日は実にFlexaret三昧だった。
日本らしい風景を最後に・・・・・・
フィルムが終わった。
相方様、お付き合いご苦労様でした(笑)
天気は上々。5月の青空に気持ちも晴れる。
久々過ぎて、ファインダーの映像が天体望遠鏡のように左右が逆になっているのをすっかり忘れていた(笑)
ので、最初はトリミングに手間取ってしまった・・・・・(^^;
ポピーは満開!とはなっていないようだったが、この花の丘の眺めはいつ来ても気持ちいい。
ポピーフェアの一つらしく、バイオリンを持った女性が、丘の上で演奏していた。
抜けるような青空と緑の丘に立つ姿がとても爽やか♪
Flexaretで接写レンズを使って撮るのは実に難しい。
ファインダーで見ている映像がそのままになるわけではなく、
フィルムをチェックしたら、微妙に上下がずれていたりするのだ。
思ったようには撮れない事のほうが多い。
でも時折、偶然に撮れるシーンが面白かったりする。
ポピーの花にシャッターを切っていたら、ミツバチがナイスタイミングでブーンと登場!
そんな時は撮りながら、ミツバチにサンキューなんて言ってみたり(笑)
この季節ならではの色彩にあれこれと、ファインダー越しにトリミング。
カメラに没頭する私を余所目に相方様はスカッと爽やかな気分らしい(笑)
この日は実にFlexaret三昧だった。
日本らしい風景を最後に・・・・・・
フィルムが終わった。
相方様、お付き合いご苦労様でした(笑)
Flexaret VI file no.0007 [Flexaret VI]
今年はFOCAを筆頭にクラッシックカメラを手にした一年だった。
というのもデジカメに飽きてきたからだ。
いつも安定した仕上がりのデジタル。
カメラの構図も今はいろんな手引き本が多く出回っていて、
今までカメラは難しいと敬遠していた人たち、
特に中高年の男女、若い女性・・・・アクティブにカメラを持って、
外へと出かけるには、最高の道具だ。
趣味としても楽しめるし、購入時以外のコストもなく、長く続けられるものだ。
この知識も緊張も少なくて、気楽に撮れるのがよかったのだが、
そのぶん、どこかでつまらなさを感じ始めてしまっていた。
手ぶれ補正があって、マクロも望遠も、シャッター速度も気にすることもなく撮れる。
まぁ、このデジタル機能は仕事でミスが許されない状況ではとてもありがたく有能なのである。
そんな仕事ではデジタルが必須だから、デジタルを使うが、
趣味はデジタルである必要はない。
ただ、コストが・・・・(大泣)
クラッシクのカメラはフレクサもそうだが、
シャッター速度が400s、絞りは3.5f。
しかもすべてが自分でセットして撮らねばならない。
自動で判断なんてしてくれないわけで、
フィルムの感度のセットを間違えたり、忘れたりしたら、泣くはめに。
しかも露出計で計測して、カメラの許容オーバーなシャッター速度を示したりしたら、
どうすればいいのかって悩んだり、諦めたり。
そして、時間が経って上がってきた現像をみて、一喜一憂。
そんな、ロスの多い時間も労力も無駄に使う趣味に周りが見れば、
浪費ばかりのカメラなのだろうけど、
今の私には、それが時間をゆったりと使える、大事な趣味になっている。
Flexaret VI file no.0006 気合十分、なのに・・・・・・ [Flexaret VI]
金曜日にフルバージョンの検査だった。
ガンを告知されて初めてのフルバージョン検査をしたのが2007年の秋。
そして2011年の秋になり5回目。
だから、少しは馴れてきたはずだったのに・・・・・・
土曜日は神戸の北野辺りをカメラ散歩。
その散歩も後半になると頭痛や吐き気を抑えることで精一杯になってしまった。
撮りたかったものは山ほどあるのに・・・・
また別の日に。
気力は十分あったけど、結局、検査疲れはちゃんとお決まりのようにやってきたのだ。
気合だけでは疲れに勝てなかった。
ってか、気合をもたせるだけの体力もないのだけど・・・・
さて、前置きはこれにておわり。
ゆうさんから、スキャンしたDATAを受け取った。
自分でスキャンできれば問題ないのだが、
如何せん、フィルムスキャナは高いので、
治療が終わって余裕出たら購入を考えるとしよう。
夏の終わりを撮りに須磨へ行った時の写真。
駅前のホットドック屋さんでコソッと撮ったものだ。
色合いとかレイアウトとか、コペンハーゲンのイメージでとても可愛い店だった。
オーナーさんもとても優しそうな笑顔だった。
須磨の浜はこの頃はまだ、海水浴客でごった返していた。
人混みをさけて、西へ西へと浜を歩き、
とても静かな浜でのんびり、海を眺めて、
まえまえさんの登場を待ってた。
まえまえさんのポートレートもあるけど、本人の承諾も得ないままUPできないので、
プリントとDATAを近いうちに送りますね。
秋が始まりまだまだ暑さは夏だった時に、
いつもながらの公園でカメラ散歩。
ここでも、夏は終わりを告げていた。
バタバタと過ごしたような、そんな夏。
でも、季節は毎年変わらず移ろいでゆくものだ。
夏から秋へ、バトンタッチ。
そんな最後の夏のひまわりランナーが、
秋風に次へのランナーへのバトンを渡そうとしている。
フレクサレットであまり空だけを撮ったことがなかった。
雲がとても綺麗に写っている。
フィルムの微粒子がアクセントなのかも(笑)
ガンを告知されて初めてのフルバージョン検査をしたのが2007年の秋。
そして2011年の秋になり5回目。
だから、少しは馴れてきたはずだったのに・・・・・・
土曜日は神戸の北野辺りをカメラ散歩。
その散歩も後半になると頭痛や吐き気を抑えることで精一杯になってしまった。
撮りたかったものは山ほどあるのに・・・・
また別の日に。
気力は十分あったけど、結局、検査疲れはちゃんとお決まりのようにやってきたのだ。
気合だけでは疲れに勝てなかった。
ってか、気合をもたせるだけの体力もないのだけど・・・・
さて、前置きはこれにておわり。
ゆうさんから、スキャンしたDATAを受け取った。
自分でスキャンできれば問題ないのだが、
如何せん、フィルムスキャナは高いので、
治療が終わって余裕出たら購入を考えるとしよう。
夏の終わりを撮りに須磨へ行った時の写真。
駅前のホットドック屋さんでコソッと撮ったものだ。
色合いとかレイアウトとか、コペンハーゲンのイメージでとても可愛い店だった。
オーナーさんもとても優しそうな笑顔だった。
須磨の浜はこの頃はまだ、海水浴客でごった返していた。
人混みをさけて、西へ西へと浜を歩き、
とても静かな浜でのんびり、海を眺めて、
まえまえさんの登場を待ってた。
まえまえさんのポートレートもあるけど、本人の承諾も得ないままUPできないので、
プリントとDATAを近いうちに送りますね。
秋が始まりまだまだ暑さは夏だった時に、
いつもながらの公園でカメラ散歩。
ここでも、夏は終わりを告げていた。
バタバタと過ごしたような、そんな夏。
でも、季節は毎年変わらず移ろいでゆくものだ。
夏から秋へ、バトンタッチ。
そんな最後の夏のひまわりランナーが、
秋風に次へのランナーへのバトンを渡そうとしている。
フレクサレットであまり空だけを撮ったことがなかった。
雲がとても綺麗に写っている。
フィルムの微粒子がアクセントなのかも(笑)
Flexaret VI file no.0005 ごえんさんの言葉 [Flexaret VI]
春分の日が近づくと、祖母の思い出がちらちらと脳裏をかすめる。
もう3年前のことだけど、
2009年3月21日は、祖母の17回忌だった。
その時のいい言葉(笑?)を思い出したので、ブログに残しておこう。
いつも通りお経をあげて、
ごえんさん(方言かな?お世話になっている住職さんのこと)が説教をしてくれた。
「星占いなどで『今日はいい日』とか『今日は悪い日』とか、
そんなことで一日を迎える人がいます。
今日という日に『いい』も『悪い』もありません。
善い行いをしたのなら、その日はあなたにとって『いい日』なのです。
悪い行いをしたのなら、その日はあなたにとって『悪い日』なのです。
本来は毎日が『いい日』なのです。
悪くするのはその行いなのです。・・・・・・以下、省略」
私なりに解釈して聞いてた。
その日が初めから「いい日」か「悪い日」かなんて決まっていなくて。
一日は誰にとっても始まりは同じ状態から始まるわけで、
その人がどんな行為をしたのか、その人自身の心なかでその人の一日が変わる。
ここで気づいたのが、
説教のなかで繰り返し言われた言葉、
それは「自分が何をしたのか」だった。
「だれが自分にしてくれたのか」ではなく、
「いい日」「悪い日」は自分が何をしたのか。なのである。
以前に薬師寺に訪れたときにも聞いた。
その時には自分の先祖は何十万といるのです・・・と言われていた。
自分から親へまたその親へとネットワークをつくると、
その先には何十万という人が並んでいるのだ。
それだけの何かを受け継いでいて、
そしてそれをまた次へと繋いでいく。
そう語られると不思議と世界は過去でも繋がっているんだと思える。
自分の周りにいる人、遠く会ったこともない人と、
過去のどこかで繋がっているのかもしれない・・・
そして、これからも未来へ過去からのそんな不思議な糸(縁)を
ちゃんと切れることなく紡いでいれますように・・・・・
Flexaret_ŠestI_Jednobarevný no.004 [Flexaret VI]
こんなにたくさん魅力的な姿を披露しているけど、
私の目に止まったのはほんの僅か。
青い空に一番映えている。
そう、私の心に響いたのは君。
どんなにたくさんあっても、私には君が一番だ。
君の周りをぐるぐる。
アングルを変え、君が一番映える空に向かってシャッターをきる。
そして、このたった一枚の思い出に残っている。
Flexaret_ŠestI_Jednobarevný no.003 [Flexaret VI]
まるで影絵のように、木々の枝が絡み合うように空に広がっている風景が好き。
なにかがそこにいて、じっと身を潜め、息を殺し、こちらを伺っているかのよう。
その木立の向こうに未知の世界が隠されているかのように・・・・・
Flexaret_ŠestI_Jednobarevný no.002 [Flexaret VI]
モノクロで見る画像って、
時間を止めてしまったような、
記憶を進退させない、そんな感じ。
色は褪せていくのだけれども、
モノクロはいつまでもその時をとどめているような・・・・
心のなかってモノクロームなのかな?(^^;
(気持ちや情緒を表現するにはモノクローム?)